シリーズに参加するまで
「ウルトラQ」を復活させる――。
この魅惑的な試みは、長年ずっと在り続けていた。
私個人でも、円谷映像、コダイ、或いは他メーカーなどにて何回も企画書、プロットを書かされてきた。当然私だけなどではなく、多くの脚本家、監督らがこの試案を産み出してきただろう。
“ウルトラQ的なもの”ならば、作品に結実したものもある。しかし、ウルトラQというタイトルを冠したものは、佐々木守氏の脚本を実相寺昭雄監督が円谷映像にて撮った映画があるのみで、しかしこれはかつてのシリーズの趣とはやや異なる独自な映画となっていた。

2002年の夏、遂に円谷プロが「ウルトラQ」を復活させる、という企画の話を聞いた時には、私のキャリア分程もある長い実らなかった日々を思い、感慨深かった。
しかし、“ウルトラQ The Midnight”と仮題をつけられていたこの企画は、出資プロデューサー達の間で、『リング』の様なホラー性を強く出して欲しい、という注文がつけられていた。
既に、上原正三氏、山田正弘氏らオリジナルの『Q』に参加されていたベテラン脚本家によって、ラフな26話分の各話構成まで出来上がっていたのだが、なるほどそこには、怨霊話の様な心霊系のエピソードが色濃く表れていた。。

私は、若手プロデューサー、監督の要請により、その構成案に対するカウンターとしての構成案を依頼されたのだった。しかし、予算規模からして、旧作の様に怪獣を多く出す事は不可能だという事も知った。
改めて、ウルトラQとは何であったのかを考え直した。
怪獣、宇宙人、それ以外にも奇妙な味的小品、不条理ドラマやジュヴナイルなど、ヴァラエティの豊かさこそがウルトラQであったのは先ず間違いない。
そこで何が一体通底していたのか。それは、やはりSF発想であったと思うのだ(旧作が、ナレーションのフォーマットからして、アメリカのSFシリーズ、「アウター・リミッツ」を大いに参考にしていたのもその根拠だが)。

私がそう主張すると、若手プロデューサーの一人から強い反発を受けた。SFというと、宇宙人とかそういうネタに縛られてしまうのではないかという危惧があるという。
SFというジャンルについての認識が、若い世代と私とでは随分と隔たりが出来てしまっているのだと痛感せざるを得なかった。
私の世代(水玉 螢之丞さんに言われるところの“手塚生まれの円谷育ち”)にとって、SFとは通常のドラマ構成に対して、違った観点から捉えるものだ、と考えていた。
私がSFという語を用いる場合、それはScience Fictionの略ではなく、純粋なるSFという呼称なのであって、そのSFとは何かについては、70年代後半にあった「奇想天外」誌などに盛んに発表されていたNW(ニューウェーヴ)などをも包括する、単なる科学小説ではない、思想の手段とも言えるものだった。
「悪魔っ子」も「あけてくれ」も、まさにSFなのだと私は認識して現在までに至っている。

QはSFなのである、という観点に立った私が提案した、今回のシリーズのフォーマットはこの様なものだった。
狂言回しとして登場するキャラクターは中年と若い男の二人。
不可解な現象が起こると嗅ぎつけて調査をし、時には事件に積極的に介入し、そしてその事件があった事を隠蔽する。目撃者には脅迫めいた言葉を送り、マスコミへは上層部に依頼して情報を操作して貰う。
彼らは政府のある機関員であり、彼らは自分の感情や思想を押し殺して職務に忠実にあろうとする。だが、個人の感情と職務内容の矛盾が、徐々に露わになっていく――。

有り体に言えば、“逆・Xファイル”だ。
オムニバス的な事件が毎回起こり、それに準レギュラー的に登場する狂言回しがやはり必要だとするなら、どうしても雑誌記者といったありふれた設定に陥ってしまう。
旧作の、民間航空会社のパイロットと助手という設定は、事件(エピソード)によってはかなりの無理があったのは事実だ(「蜘蛛男爵」など)。
事件に積極的に介入するという立場足り得る人間を、ある程度の現実性をもって描くとするなら、これしかないと思い至ったのだった。
基本的にはオムニバス的なシリーズであり、このレギュラー設定は言わば、毎回現れるMIB(黒服の男達)の様な存在である。シリーズの後半になるまではそのままで進み、終盤にて、彼らが自己としての意識によって行動する様になれば、2クールという長さの中で、ぼんやりとだが一貫した物語性をも勝ち得る筈だ。

言わば悪役を主人公側にするというアイデアは、若手プロデューサー、監督には受け入れられたが、製作委員会からは拒絶されてしまった(その経緯の詳細については、私は聞かされていない)。
結局は、上原正三氏が、旧作をイメージさせる男女三人のレギュラー・キャラクターを設定し、内容については「怖くする」という要件のみ以外の縛りは無いものとなった。
しかも、その「怖くする」という事項すらもいつの間にか消失し、サブタイトルは「dark fantasy」というものに変更されていた。

今、ウルトラQを作るならこれしかない。そこまで思い詰めて企画案を提出した私にとって、この決定は覚悟以上の打撃を受けてしまった。
せめて、各話担当としては、単なる旧作のなぞりではない、現代的な解釈のQを作ろうと思ったのだった。
品川の松下電器にて、DVD 5.1ch版試写会が行われた時のスナップ。
右から「小町」の長澤奈央嬢、八木毅監督、上原正三氏、佐野史郎氏。